VOL 10-1 亡き兄の遺産を引き継ぎ30有余年

HOT RODの王道を歩み続けた熱き男の人生の岐路を紹介させて頂きます。30年前に知人を介してOBにレストア依頼が有りました。事故死した兄のチョッパーを復元して乗りたいとの話でしたがハーレーは初心者なので長く乗り続けるにはB級チョッパーを修理するのでは無くE/gだけを残して安全に乗れるバイクにすべきと説得しました。
67年FLでしたが中身はジャンク ! それでもこのE/gは絶対に使いたいとの熱意に動かされ様々なプランを提示してホットロッドハーレーをスタートさせました。
軸になるフレームは当時まだレプリカフレームが存在せず唯一HOT ROD天国スウェーデンだけが独自の純正リジッドを創るべく全ての鋳造ラグを始祖Arronが産み出してレプリカ目的では無く各ピースを組み合わせワンオフフレームの特注サービスを始めました。
その後フレーム製作の第二世代にあたるブローダーナ・エドランドをPat Kennedyに紹介されて早速今プロジェクトの核になるダウンチューブを2インチ伸ばしたストローカー用リジッドを依頼する事に。

オーナーは四輪メカニックで好奇心旺盛な性格ゆえに色々なハーレーパーツを試しながらスキルを磨きスタイルもスプリンガーになったりツースロートキャブにハマったりと試行錯誤が楽しそうでしばらくは連絡も滞り私も忙しくこのバイクの事は忘れてましたので残念ながら当時の写真は手元に有りません。。
10年位の間を空けて再び再構築の依頼で驚かされました。アーリーE\gは何の不満も無く楽しく乗ってたもののクランクに新しいバランスマスター導入と腰上をPANに換装したいとの要望。
しかし、わざわざ先祖返りする様な古く見せるのはHOT RODの基本からブレてしまうから新しいテクノロジーを加えるプロジェクトを提案することにしました。
日本人はホットロッドと言うとボロ、サビと黒一色の外装としか頭に浮かばない貧しい発想ですが本来のHRカルチャーはWW2で強大なパワーの兵器、軍用車に触れショックを受けた帰還兵がその衝撃的な体験が忘れられずに古い車両に新しい技術を詰め込んで遊ぶ発想なので単に古く見せるとは全く違う次元です。

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